昭和40年8月14日 朝の御理解 ★
昨日、十三日会が終わりましてからです、あのー皆さん、山にお榊を切りに行く人、それから、現場に、祭場(に行く人?{車か何かの音がうるさくてはっきり聞こえない})、私も祭場の方へ参りました。若い人達とばかり10何人行っとりましたですから、それでもやっぱりあそこの地ならしをいたしまして、そして砂をまいて、それから、あの、ひもろぎにするところのお榊を立て、四方に(竹笠orたけざさ?)を立てまして、あともう注連縄をはればよいばっかりにいたしました。丁度もう日が暮れました。
そしてそのできあがり、ほとんどできあがりましたその、まあ祭場を見てから思うたことでございますけれど、なるほどなあ、長年の歴史と。例えばそういうような地鎮祭とか、なんかといったようなものは、このー神道からきておるですね、いわゆる御神道なんです。
けどもやっぱりこれは、仏教にしろ神道にしろ、やっぱり何千年という一つの伝統をもっとります。歴史をもっとりますから、やはりその形式なことにいたしましても、やはりその生粋というか、なるほどとこう合点がいくようにです、に、あるもんだなと言うことでございますねえ。
お道の信心では『神に会いたいと思えば庭の口にでてみよと 空が神 下が神』だと。もうここ天地いっぱいに満ちわたらせておられるのが天地の親神様なのであるけれども、なるほどここに祭場をこう奇麗に地ならしをし、そして奇麗な砂をまかしていただいて、いわゆる注連、はりめぐらさせてもらう中には、こうピラミッド型に砂を、盛り砂をいたしまして、なるほどこれに注連縄でもはりめぐらしたら、なんとはなしにここに神静まりますというか、神様がこう休まってくださるというか、なんかそういう気がするですねえ。
(ですから?)なるほど素晴らしい事だなあ、長年の歴史というものは有り難い。例えばこれがその、家を建ててもらうにいたしましても、そこの主人と、同時にそれを建てられる職人さんがたですかねえ、私がそういう気分の中にです、しかも神様にそこへ祈りをそこに集中してです、どうぞ怪我あやまちのないように、無事にどうぞ、まあ御造営ですかねえ、おかげの( ? )御造営であり、その家が建ちあがりますようにと言う、祈り願いをさしていただくということによってです、やはり気分の上でもほんとに清々しいと言うか、お願いを一つゆう一つの気持ちができるだろうと私は思うんです。
そんなことを私今朝、感じさせていただいて(御祈念させて?)いただきよりましたらあの、★きれいなこの、日本間の床の間をいただくですねえ。近くの床の間にです、奇麗なこの、チタンかなんかの飾りがあってその上に、昔風の(おぎんじょう?)がこうのっておるところを頂きました。もちろん花はいっておりません。★なるほど床の間に、そして(おぎんちょうと?)。今日は例えば、そういうようなおかげを頂かなければならんのだというような感じがいたしました、ね。
やはりあのきちっとしたとうかね、床の間といやあ家のなかではあそこはなんにも( ? )とこなのである、だいたいをいやあ、ねえ。あそこで、床の間でねることもできなければ、床の間でお茶飲むわけにもいかんのですから、ねえそこでやっぱり八畳なり十畳なり例えば部屋があって、床の間である。なにをあげなんとこ( ? )けれども、やはりその床の間がなからなければいけないように、何もならんような事ではあるけれども、やはりその今日の地鎮祭もそういう意味合いにおいて、おかげだと、これから私共が心の花とでも申しましょうか、ね、真心の花とでも言おうか、そういうようなものがその(おぎんちょう?)にいけあげられた時に、いよいよ私は御造営ができ、この、と言ったような感じがいたしましたんです、ね。
そういう意味合いで、今日はもう八時に親先生を迎えに行くように致しております。もうただ今からすぐ、あと残っております準備をしなければなりません、神饌を。また、あの、注連縄できてきとうじゃろうか、注連縄をはらせていただいたり、また少しばかり残っとりますから、まずは( ? )このままあちらへ(おいで出られて? )御用してくださればけっこうです。
先生は八時にお迎えいたします。( ? )おりますから、どうぞよろしゅうあちらで、そうゆうあたくし( ? )申しましたような意味合いでですね、今日の親先生は地鎮祭、あわせてきこうしきとこう仰っておられますけれども、私共はそこは何でも良い、ね。けれどもやはり私どものそうした、また新な気持ちをそこで頂かせてもろうて、その新な気持ちを、ね、その床の間に向かって一つ祈念をするような気持ちでです、今日の地鎮祭、またはきこうしきを拝ませて頂いたらよいと思います。おかげを頂きますようにどうぞ。